2008/01/28(月)
本日は、音楽関係の記事を(bachではありませんが)
「モーツァルトばかクラブ」に入会して、10年近くになるでしょうか、といっても例会に参加したことも無く、年4回ほど郵送されてくるB5サイズ、20ページほどの会報を読むだけの会員です。会報はワープロで作ったものをコピーして、冊子にしたシンプルなものです。年明けに113号が届きましたが、会長と古参会員が亡くなられた記事がありました。
モーツァルトばかクラブとの出会い
阪神淡路大震災の前、毎日新聞のコラムに、当時編集をされていた西宮市在住のMさんと当クラブの紹介があり、母が記事を切り抜いていました。興味があり、一度問い合わせてみようと思っていたら、あの地震。震災後だいぶ落ち着いてから、地震は大丈夫だったろうかと、Mさんに電話すると、ご無事で、ならばということで会員にさせていただいた次第。そのMさんもご高齢で、編集の任を外れられ、現在は東大阪のSさんが編集をされています。
クラブの今後
会報113号に会報の今後について記載があり、もう、こういう冊子形式のミニコミ会報の継続は難しい、ホームページやブログへ移行することも選択肢の一つ、しかし、パソコンを持っていない人はどうするか、等々、難しい選択を迫られています。確かに、亡くなられた会長や古参会員の方も80才を過ぎておられ、会員にはパソコンとは無縁の方も多いように見受けられます。現役サラリーマンの私などは、おそらく超若手に属するでしょう。インターネットがテレビとかで見れ、茶の間で気軽に使える時代も、そう遠くはないと思いますが、悩ましいところです。現役サラリーマンとして、インターネットを当たり前のように使い、ブログまで開いている私としては複雑な心境です。歳はとっていても一曲で100を越えるようなLPやCDのコレクションをされているような超マニアの方々ばかりで、私などはほとんどついて行けてないのですが、会の精神、ユニークな会の名前はなんとか残したいものです。
#1 投稿者: モックの会のゴエモン (2008年1月28日 - 10:02)
[いいですね]
#2 投稿者: 小林 良和 (2016年12月8日 - 07:29)
はじめまして。小林良和と申します。今から42年前の中学生の頃に仲間に入れていただいて、5年ほど会員だったと記憶しております。クラブ名を検索してこのページで、8年前に中川会長がお亡くなりになったことを知りました。当時、中川さんには息子のように優しくして頂きました。この会は現在も存続されてますでしょうか?
#3 投稿者: jsbach (2016年12月10日 - 20:47)
この記事の後、間もなハガキで会報の配信中止、さらら仁川(阪急仁川駅近く)での鑑賞会は継続との案内があったように記憶しています。その後、特に案内もなく、当方も積極的に調べることもなく今日に至っております。
#4 投稿者: akkun (2018年7月31日 - 13:39)
MBCは自然消滅したのでしょうか?
大学生の時に読んでた週刊FMでモーツァルト好きの中川勝太郎さんの投稿を見て個人制作のモーツァルト年表を送っていただいでから、FM仲間でMBCの発足しました。会報創刊号からの編集メンバーです。大泉学園の成川さんの家に5〜6人集まってましたねぇ〜。イラストは板橋の金子正夫さんが担当で、会報投稿は会員の直筆コピーを簡略製本で発送とかも成川さんがやってくれてました。
ばかクラブの大きい会員証、今でもピアノの上に額に入れてあります。大学院出てから、MBCから離れてしまいましたが、初期メンバーとは、年賀状交換が続いてましたので、時々成川さんや梁瀬健さんから会報を戴いたりその後の様子を教えて頂きましたが、近年は初期会員の高齢者の方が次々とお亡くなりになり連絡も途絶えてきました。
4年前に流山十太夫の小林陽一さんの家から10分くらいの所へ偶然引越しして来たのですが、小林さんの家は荒れ果てて空き家になってました。発会当時、定年間近の方だったので90代後半になられてると思うので心配です。隠居してからは弦楽器製作を趣味にされていて、80代の時に訪問した時にヴィオラを譲っていただくことになっていたのですが、多分製作されたヴァイオリンやチェロもあの家の2階で放置されたままになっていると考えられます。
ばかクラブ初期の川崎でのマチネ、紀尾井町の松田とし邸でのマチネ、関西での中川勝太郎さんや梁瀬健夫妻を囲んでのマチネの写真を見ると当時を思い出します。私もピアノで参加したんですが、まだ学生でしたので周りは皆さん大人ばかりでした。
世代が交替して今は初期の会員はどうされてるのでしょうね⁇